光陰矢のごとしとは言ったもので、あの痛ましい東日本大震災から1年が経過した。
今日の午後2時46分、iPhoneでラジオを聞きながらしっかりと黙祷しました。
ファミレスにいましたけど、食事の手も止めて。
今回の震災の死者は津波で被害にあった人が多数である、ということを考えると黙祷は地震発生の時間でいいのだろうかとも思うが、それはまた別の話だ。
今回はそれにはあまり触れないでおこうと思う。
さて、少し昔を思いだそう。
1年前の午後2時46分。あのとき自分はちょうどGTEC受験してたっけ。
白状すると、あのとき自分の胸ポケットに入っていたiPhoneがひたすら揺れてたんだよな。(一応マナーモードだった)
何度も揺れてたからちょっとおかしいなと思ったら、案の定地震が来た。
そして、学校に泊まりそうになった。
実際に学校で一夜を明かした友人もいた。
幸い、自分は親が迎えに来てくれたおかげで当日中に帰宅することができた。
が、都内の交通網は完全に麻痺。当然ながら歩いて帰宅。
そして、帰宅後ニュースを見る。
自分の遠い親戚が気仙沼の大島というところに住んでいるのだが、そこが孤立状態になってしまったということを伝えていた。
どこのチャンネルも震災のニュースばかり。
だが、それ以外の情報はニュースから全く得られなかった。
同じ内容が延々と繰り返されるだけなのだ。
もちろん、ニュースは大切だと思う。
だが、どのチャンネルも同じ内容なのはどうなのだろう。
基本的にテレビというメディアは一方通行の性格を持っている。
今は地上デジタル化されたこともあり、データ放送という形で双方向性が実現されているが、それでもやはり中心となる映像・音声は一方通行だ。
つまり、視聴者は送られてくる映像を受け取るしかない。
言い換えれば、視聴者の「こういう情報が欲しい」という声に応えることができないのだ。
それは被災者が今必要としている情報を得られないことにもつながる。
だから、ここは会社の垣根を越え、たとえば次のようにしてみたらどうだろう。
(この場合は首都圏の放送局)
NHK総合 | 震災関連のまとめ情報(従来通りのもの)を放送 |
NHK教育 | 震災の最新情報だけを放送 |
日テレ | 被災地の現状と救援活動の進行状況を放送 |
TBS | 原発関連の情報を放送 |
テレビ朝日 | 被災者向けのライフハック情報 (要は生活必需品の代用方法など)を放送 |
フジテレビ | 連絡ができない被災者向けに、伝言メッセージを放送 (新潟県中越地震の時NHK教育が一時期やってましたね) |
テレビ東京 | 娯楽番組を放送する |
もちろん、今回の被災地は東北地方が中心であるから、チャンネル数も首都圏ほど多くはないだろう。
であれば、2局の担当内容を1局にまとめてしまえば問題は片付く。
要は、首都圏であれば少なくとも7系統のチャンネルがあるにもかかわらず、それぞれ同じ内容を報じているだけという状況はあまりにも無駄がありすぎるのではないか、と言うことだ。
もちろん、普段のニュース番組では各局の特集コーナーなどがあり、差がある部分も多い。だが、震災の臨時放送には情報の差がほとんどない。そうなると、情報の重複が多いということになる。
上の表には少し理由がある。
NHKは日本全国で視聴可能であるはずだから、まずNHK総合は従来通りの放送をすることとする。それで、最低限ではあるが事は足りるはずだ。つまり、全国共通でニュース関連は1つにまとめてしまうのだ。
そして各局がそれぞれ特化した内容を放送する。
これにより、被災者を含め個々人が必要とする情報にアクセスすることが容易になる。
実際、被災地では防寒具や紙おむつ、生理用品などの生活必需品が不足していることが多かったようだ。
インターネット上では、それらの代用方法をまとめたサイトが立ち上がったりして、それに助けられたという声もちらほらTwitter上で目にした。
しかし、テレビに助けられたという声はあまり聞かない。
せいぜい地震と津波がくると報じたときくらいだろう。
それは当然のことだ。どこの局も同じ内容しか報じていないからだ。
別に自分はマスメディアを養護しているとか、そういうつもりはない。
そういう話以前に、限られたリソースを有効に、フルに活用できていないのが問題だと思うのだ。
今回の震災は、インターネットが大きな活躍をした。
特にTwitterなどは情報の伝播性に優れているという点で、数多くの命を救うことにもつながっただろう。
しかし、これらは各個人が持っている携帯電話などの移動体通信網を利用した端末でしか利用できない。
つまり、やりとりできる情報量に限りがある。
その上携帯電話はもともとパーソナルな端末であるから、一斉に大勢の人に情報を伝えるという目的には不向きだ。
もし仮に、代用品作りの工程を解説した映像を皆がYouTubeなどで見たら、回線はあっという間にパンクだろう。
だが、それをテレビでやっていたらどうだろう。テレビを見れば済むとなれば自然とそっちを使う人が多数になるだろう。
電話はつながらないのにメールやネットはつながるという体験を震災後にした人も多いと思う。
パケット通信網のほうがつながりやすいのは事実だ。
だが、所詮は限りのあるリソースだ。限界がある。
インターネット以外でもできることを他の手段に託すということも大事だと思う。
それこそ、パケット通信網はテレビなどで放送していない情報を探すためや、救援要請などの声を上げるため、などに使った方が効果的だ。
もちろん、被災者からのアップリンクだけでなく、ダウンリンクも大切なのは間違いない。
実際に、テレビ放送などのサイマル放送をインターネット上で行ったのも効果があった。
Radiko(インターネット上でラジオをサイマル放送している)なんかはサーバーが混雑しすぎてつながりにくくなったほどだ。
だからテレビはいらないと結論づけることもできなくはないだろうが、それは違う。
サイマル放送はあくまで補助的手段であると思うからだ。
なぜこのインターネット上でのサイマル放送が生まれたか。それは、少しでも情報にアクセスできない人を減らすことがためではないだろうか。
その目的を達成するためには、インターネットの活用が大きな力を果たすだろう。
だが、それ以上に必要なのは広く一般に浸透している既存メディアをどう活用するかだ。
テレビ東京なんかは一番早く娯楽番組の放送を再開した。テレビ局にしかできないことをしっかりとやろうとしたとも言える気がする。
娯楽番組を通して人々に笑いの種をまくことができれば、少しは暗い気分も紛れる。
もちろん、全部が全部いいという訳ではないが、そこはバランスの問題だ。
震災後に娯楽番組など不謹慎だ、という声もあるかも知れない。
だが、なんでもかんでも謹慎するのは如何なものかと思う。
確かにバカ騒ぎすることは不適切かもしれない。
でも、番組を見て笑うことで少しでも気分が明るくなればいいではないか。
少しでも良い方向に向かうことができるのなら、そっちのほうがいい。
きっと犠牲になった方々も、残された人が自分たちのために暗いムードで謹慎を続けるより、力強く立ち上がって前を向いていくことを望むに違いない。
双方向のメディアと一方通行のメディア。
それぞれのメディアの特徴と性格を再度見つめ直し、相乗効果を生み出す。
必要とされていることは何かを考える。
それに答えられる最適な方法を作り上げるべく、一致団結する。
限られた資源をベストミックスする。
必要な情報にアクセスしやすいよう、デザインをする。
(今回メインにあげた、テレビの局別担当割当私案もその1つ)
それが、大切な事だと思うのだ。
(要はインターネットが注目されてますけど、それだけに頼らず、既存メディアも上手く使うようにしませんか、っていうお話。長くなっちゃって頑張って読んだ人、ごめんなさい)
ただ言うだけでなく、今回は一つの方法も個人的見解ではあるが示した。
今後の災害にこのアイディアが少しでも生かされれば幸いだ。
最後に、この東日本大震災で亡くなられた方の冥福を心から祈ると共に、ケガをされた方の1日でも早い回復を祈ってやまない。
(文章の校閲を軽くしかしていないので、話の展開や文章の誤り、誤字脱字などがあるかもしれませんが、大目に見てもらえれば嬉しいです。コメントで是非ご指摘ください。)
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